課題文型小論文・例題

課題文型小論文では、下線を引いてその下線部についてどのように考えるかという問題もあれば、課題文全体を踏まえた(要旨をまとめた)上で自分の考えを述べなさいという問題もある。

前者の場合は、前項の貯蓄税の問題のようにキーワード(キーセンテンス)が示されているので、何を書けばいいのかわかりやすいが、後者の場合は論点を自分で探さなければならない。論点と書くと何か難しそうだが、要は何について書くかということである。

課題文型小論文の書き方の最初で述べたように、課題文の筆者は特定箇所における論点やテーマなど特に意識していないだろうが、出題者は何について述べてほしいのかはっきりとイメージして問題を作っている。それは何か? その点に注意して課題文を読もう。

例題 次の文を読み、筆者の考えを踏まえた上で、あなたの考えを述べなさい。

東急ハンズに買い物に行こうと渋谷駅で降り、スクランブル交差点を渡ると、センター街はとんでもない混雑だった。
何をやっているんだ? ――私は考え、周りを渡してみた。そこにいる若者はアニメ、ゲーム、ディズニー……それぞれ何らかのキャラクターに仮装している。
「ああ、ハロウィンか」
そこで思い至った。ハロウィンが流行っているというのは耳学問としてあったが、この目に見たのは初めてだった。
彼らは何かをしているわけでない。歩いて騒いで写真を撮ってSNSを更新しているだけだ。そこに目的があるようには見えない。私には何が面白いのかさっぱりわからなかった。

だが、しばらく見ているうちに「共有」という言葉が浮かび上がってきた。
共有こそが彼らの目的なのだ。10月末という時間、渋谷という場所、そしてこの雰囲気。やることよりも、ここにいること、それが目的なのだ。それを示す証拠としてSNSを使う。
「私は、俺は、いまここにいる」
そこに主体性は感じない。ハロウィンである必要はない。ただハロウィンの季節がきたから仮装する。クリスマス前には恋人を探す。バレンタインデーにはチョコレートを渡す。大学4年になれば就職活動する。適齢期になれば結婚する。時代や同世代の価値観という同調圧力が押すがままに流される。そこに疑念はないのであろうか。
帰り道、代々木公園を抜ける秋風は冷たく侘しかった。

題材はハロウィンについてである。そう思って「私は若者たちがハロウィンを楽しむことについて賛成である」などと書き出してしまうと、テーマから外れた文章になってしまう。そんなことは聞かれていないからだ。それではどれだけ内容がよくても、高得点にはならない。

もちろん「ハロウィンは元々収穫を祝う祭であったが、日本のハロウィンは祝祭的要素はまったくなく、ただ騒ぐための方便である」という文が出て、それについて賛否を問う問題も考えられるので一概にはいえないが、この例題ではハロウィンはあくまできっかけでしかない。

この課題文にはキーワードは2つある。

わかっただろうか。

「共有」と「主体性」である。

例題のように「~について踏まえた上で」「要旨をまとめた上で」という設問の場合、まず「筆者は~」「課題文では~」というように、簡潔に論点(キーワード)についてまとめたほうがよい。

では、例題の内容についてまとめてみよう。要約問題と違って、小論文に課題文の主張や論旨を入れる場合は「筆者は~」「課題文は~」などと明記する。

筆者は、渋谷のハロウィン(の騒ぎ・あるいはパレード)を見て、時間や空間(場所)、雰囲気を共有することが参加者(若者)の目的であり、そこに主体性は感じないと疑問を投げかけている。(たんに「述べている」でもよい)

内容としては、共有が目的でそこに主体性を感じないという旨さえ書いてあればよい。あとは自分でうまくまとめてみよう。どのような論調で書くにしても、最初はこの文でよい。ただ一文で終わっているので、ハロウィンの現状についてなど足すとさらによい書き出しになる。

ここ数年、日本ではハロウィンに仮装してパレードをすることが流行っている。特に東京の渋谷や六本木などで相当な賑わいを見せているが、筆者は渋谷のハロウィンのパレードを見て、時間や空間、雰囲気を共有することが参加者の目的であり、そこに主体性は感じないと疑問を投げかけている。

この書き出しをもとに、小論文を書き上げていく。

賛成・反対と明快に書ける問題はそう多くない

筆者の考えを受けて自分の考えを述べるわけだが、筆者の考えについて賛成だ、反対だというのはこの例題にはそぐわない。「筆者の意見に同意だ」「筆者の主張には賛同できない」という書き方はできなくもないが、極論になりがちなので無理に賛否を問うような書き方にする必要はない。

この例題ではキーワードが二つあるので、そこに注目してみる。

参加者の目的は共有である→それは正しいか。否か。

そこに主体性はないのか→その通り。それは違う。

内容をこのように分けてみよう。このように分けると部分否定で書きやすくなる。

片方に賛意を示し、もう一方を否定する書き方で書いてみる。

①共有が目的ではあるが、主体性もある

たしかに筆者の述べるように、参加者の目的は共有である。私はロックが好きでライブによく行くが、ライブもメンバーと観客が時間や空間を共有することで興奮が倍増する。会場が一体となって、いまここにしかない瞬間をつくりあげる。ハロウィンもライブと同じように、時間と空間の共有や一体感が醍醐味である。

一方で、筆者はそこに主体性を感じないと述べているが、私はそうは思わない。参加する義務がない以上、行事やイベントに参加すること自体、主体性がないとできない。

また、参加者はたんなる受け手ではない。自分から楽しむという意識を持っている。ライブでいえば、静かに聴く曲も、飛び跳ねる曲もある。ハロウィンでいえば各々が思い思いの仮装をする。同調圧力などではなく、みなが主体性を持って集い、力を合わせて一つの空間をつくりあげているのだ。

たしかに~しかし(ここでは一方で~)型を使い、ロックの話を入れて展開した。課題文型であっても自分ならではのネタを入れることでオリジナリティや説得力が出る。

②主体性はないが、目的は共有ではない

次にこのパターンで書いてみよう。

筆者のいうように、ハロウィンの参加者に主体性を感じないというのはわかる。参加者はハロウィンに何か思い入れがあるわけではない。季節の行事や流行りに便乗して盛り上がればよいという考えだ。

だが、参加者の目的は周りと時間や空間を共有することではない。ハロウィンはあくまで舞台装置でしかなく、そこには自分を見てほしいという気持ちが透けて見える。SNSに画像を上げるのはハロウィンの模様をみなに発信したいからではなく、そこに参加している自分を見てほしいがためだ。

テレビ全盛のころ、多くの人はたんなる受け手であった。それがインターネットやスマートフォンの発達により、自分が送り手となることも容易となった。ニコニコ生放送の放送主を指す「生主」やYouTubeの投稿者を指す「ユーチューバー」などが学生の間で人気だが、いまでは誰もが発信者になることができる。多くの人が非日常空間にいる自分を演出したいという気持ちを持っている。その会場として、写真映えのする仮装大会ともコスプレ会場ともいえるハロウィンは最適なのだ。

主体性はなく便乗であるのはたしかだが、そこにあるのは誰かと共有したいというより、自分を見てほしいという気持ちである。このような論調だ。これには動画配信が流行っているという具体的な補足説明を入れた。

部分否定だからといって答えは一つにはならない。様々な書き方が可能だ。自分の考えに合わせて述べていけばよい。

③筆者のいうことはもっともだが、そのスタンスには賛同しない

例題の課題文ははっきり~だと述べているわけではないが、ハロウィンに参加する若者に対して、否定的な論調なのは明らかだろう。朝日新聞の天声人語などもそうだが、エッセイ風の文章は考えをはっきり示すのではなく、いいたいことをニュアンスで匂わせて終わりというのも多い。

そこで、書かれている事実やデータはその通りだが、筆者の論調・スタンスは疑問という書き方をしてみる。

たしかに筆者のいうように、渋谷でハロウィンというのは流行りやブームに乗っかった主体性に欠ける行為かもしれない。賑やかな時間、空間を共有したいという気持ちもその通りだろう。だが、私はそれが悪いこととは思わない。たとえば学校行事だ。学校祭や体育祭は自ら企画するわけでなくても、その枠のなかで各々が役割を見つけて周りと一緒に楽しむ。時間や空間を共有する喜びを覚える。行事やイベントというのはそういうものだ。

筆者のいう同調圧力についてもそうだ。就職活動にしても結婚にしても、その時期が最も適しているからそうしているだけだ。それは同調圧力ではなく、たんなる合理的な行動である。

つねに自分主体である必要はどこにもない。生きていくなかで様々な流れに乗ることも大切なことだ。大学や就職先をどこにするのか、あるいは誰と結婚するのかなど、主体性という自分なりの決断はここぞというときにだけ発揮すればよい。

課題文の内容が必ずしも正解というわけではない。論調そのものに否定するという書き方も選択肢として頭に入れておこう。いくつかの書き方のパターンを覚えておけば、多様な問題にも柔軟に対応できる。そのためには毎回出たとこ勝負で書くのではなく、小論文の構成・構造を理解して、それに基づいて書く練習をすることが必要である。

スポンサーリンク
レクタングル(大)
レクタングル(大)
スポンサーリンク
レクタングル(大)